まずは3年間ありがとうございました。
私はこの学校の軽音楽部に入りたくてこの学校に入りました。
私も1年生の時みんなと同じようにバンドを組みました。だけどバンド活動で入れ違いとか考えの違いとかで上手くいかなくてライブも2、3回しか出れなくて、なんの思い出もないまま1年生の期間をなあなあに過ごし無駄にしてしまいました。
2年生の時ももう一度バンドを新しく組んだり、夢的少年にピンボーカルとして入らせてもらったりしましたが私の事情で沢山迷惑をかけてしまったり色んなことがあって抜けてしまったり解散してしまいました。なので私の中で1年生2年生の時は上手くいかなくて悔しかったです。
3年生になって迷惑をかけないようにひとりでやろうと思ったりもしましたがさくとバンドを組めてゆきひろとあさひが一緒やってくれる事になってネリネで引退まで走りきれたことがすごく嬉しいです。ほんとにありがとう。
私には自分の夢があってそれと部活を両立することが上手くできなくて、3年生のみんなとか特に夢的少年のみんなには迷惑をかけてしまったと思います。私は部活が大好きだったのでやめたくなかったしずっと続けて行きたかったけど迷惑をかけ続けることが悔しくて申し訳なくて考える時間をもらったりもしました。だけど今こうやってネリネノートを組んで4ヶ月の期間でもバンドでライブしたり大会に出たりできて部活を辞めるのではなくて続ける決断を取ったおかげでやり切れた達成感はすごく大きいし辞めなくてよかったとものすごく思っています。ほかの3年生の子達に比べてバンド活動出来てなかったり、考える時間をもらったりしてみんなとは少し違う3年間だったかもしれないけど私なりの頑張りかたで引退まで続けることができてよかったです。
正直私の中で後悔が沢山あります。だからこれからまだ軽音楽部に入れるみんなには後悔して欲しくないです。バンドはひとりじゃできなくて仲間がいないとできないことです。だから一緒に入ってきた仲間のことを思いやって、大切にして欲しいとすごく思います。このメンバーで軽音楽部をできることは当たり前じゃないことなのでこの出会いを無駄にして欲しくないです。そして、高校生で軽音楽部に入れるのは2年半しかなくてものすごく短い時間だからこそ大切にして欲しいと思います。それぞれの頑張り方があると思うけど周りの人がいるからこそできることということを忘れないでください。そしたら絶対いい3年間になると思います。
そして3年生のみんなにはほんとに感謝してます。みんなが居たから軽音楽部を続けられたしものすごく支えになりました。沢山迷惑をかけてしまったけど私の歌や曲を褒めてくれたり夢を応援してくれたり、みんなとは少し違う頑張り方だったかもしれないけどみんなと軽音楽部を続けられて引退できてすごく嬉しいです。ほんとにありがとう。
少し後悔も残ってしまったけど部活にいる時間は辛いことがあっても忘れられて高校生活の中で1番楽しい時間でした。この3年間は一生忘れないと思うしずっと私の支えになると思います。まだまだ軽音楽部を続けたいしやり直したいこともあるけどこの部活にいるみんなと引退までできたことが最高の思い出です。
ほんとにありがとうございました。
そして最後に室井先生。
室井先生には沢山の言葉をもらえてすごく嬉しかったです。私が部活を辞めるか考えていた時、室井先生に相談したことがありました。その時に室井先生にゆずが居なくなったら困る人がいるという言葉をかけてもらえて自分の中での不安や心配が軽くなりました。そして部活を続けることが出来ました。室井先生のいない軽音楽部だったら3年間をなあなあにしてしまっていたと思います。軽音楽部に入って室井先生に出会い先輩や同期、後輩達に出会って私の人生がもっとより良いものになりました。ほんとに3年間ありがとうございました。
ギターボーカル・誘導班長
約3年間ありがとうございました。月日が流れるのもあっという間でもう引退になります。私は1年生の時ろくにバンド活動をすることが出来ず、ライブにも出れないような1年を過ごしていました。辞めたいと思うことが何度もありました。弱い人間だなと思います。その時に唯一自分ができると感じたのが照明でした。私が照明をできるようになったのは皮肉にもこのライブに出れなかった1年があったからだと思います。裏方にずっといて、ライブをずっと見ている側だったのでどうにかして部活に貢献したいなと思ってずっと照明をしていました。
2年目は、前半は1年の頃の延長のような日々を過ごしていました。さすがに周りとの差に焦り、どうにかしたいなと思っていた頃に私が最初に所属していたバンドがなくなり、新しいバンドに変わりました。ここが転機だったと思います。酷い話ではありますがちゃんと楽器に触れようと思ったのもここだと思います。そして自分がどれだけ愚かだったと知ったのもここでした。ベースが少し弾けていたところでベースラインが作れる訳ではありませんでした。自分がどれだけ時間を無駄にしていたかを目の当たりにしました。その後またバンドが変わり、3年目に差し掛かる時に今のhomebeetに所属しました。そこからは本当にたくさんの経験ができました。今まで出れなかったライブにも沢山出ました。自分が今までできなかった経験も、バンドをすることの楽しさも、ライブの楽しさも、全部知ることができました。知るのがとても遅いなと自分でも思います。ですが、本当にいい経験ができたなと思っています。
私は、この経験を踏まえて言いたいことは「音楽を話せる仲間を大切にして欲しい」です。私が最初に組んだバンドでは音楽の話よりも自分たちが今後どうしていくか、つまり人間関係の方が多く話していました。そのため、曲よりも自分たちの関係について、音楽の話なんてほとんどしませんでした。そのまま時が流れていき、さっきほど書いた状況になりました。時間がただ過ぎるのを待ち、音楽に触れることが出来る環境でこれは宝の持ち腐れだなと深く思います。しかし、今のバンドでは音楽のことを話し、スタジオでもお互いの意見を言い合い、曲を作ることができます。昔の私では考えもつかないことだと思います。だからこそ、私は知ることができました。音楽をすることの楽しさを。
辛いことも、嫌なことも、この先絶対にあると思います。ですが、音楽を話せる仲間がいるのは本当に幸運なことだと思います。
私は育成バンドのメンバーは今の3年生に一人もいません。育成期間中にどんどんと人が辞めていき、夏休み前にはほぼ全員居なくなりました。元々バンドを組みたいと思っていた子も辞め、照明班に元々居た後輩もひとり残らず辞めました。正直驚きました。ここまで人がいなくなるのは初めてだったので。
なので、その人たちが辞めた時に自分も辞めなくて良かったなと思います。その時に辞めてたら多分私は音楽が嫌いになっていたと思います。自分が作るものにずっと自信が持てず、周りの目ばかり気にしながら生きていたと思います。しかし、こうして今の同期やメンバーと最後まで走りきることができました。最初から最後までずっと全速力で走り切れたわけではありませんでしたが「やってよかった。」と思える3年間でした。とても楽しかったです。
最後に、軽音楽部は一人でやるよりもやっぱり仲間と音楽を作るのが本当に楽しい部活だと思っています。私は一人でいる時間の方が長かったので、それを本当に実感しています。音楽を話せる仲間を大切にしてください。皆さんのこれからを本当に楽しみにしています。今までありがとうございました。
ベース・照明班長
2年半軽音楽部を頑張ってきて、辛いこともあったけど、毎日が楽しくて濃い日々だったなって改めて思います
そもそも僕がせたそうに入った時は軽音楽部に入ろうと思ってなくて、中学ダンス部だったし、高校でもダンスしようかなって思ってダンス部に入ろうと思ってました、ですが実際ダンス部の体験入部とかに行ったりして、なんか合わないなって思った時に軽音楽部のライブをそうちゃんと一緒に見て入部を決めました
最初の頃は本当に何やればいいのか分からないけど、とにかくベース練習して、みんなと楽しく話してたのを覚えてます、育成バンドも今残ってるのはゆずきしかいないけど、本当にゆずき含む5人で育成バンドできてすごいいい思い出だったなと覚えてます
そんな色んなことがあった軽音生活でしたけど、やっぱり1番楽しくて思い出に残ってるのは、みんなで小田原まで全国大会を見に行って、その後にみんなで海に入ったのが1番楽しかったです あの時あいりを海に突き飛ばしてずぶ濡れにさせた時はすごい爽快感があって、今でもよく思い出します
思い出話はそこまでにしといて、バンドの話をします
今年の4月の終わりらへんに組んだネリネノートは5ヶ月くらいしか活動してなかったけど、すごい思い入れ深いバンドになりました、正直ネリネノートが2人で組もうとしてた時にベースで俺を誘ってくれた時は素直に嬉しかったし、大会関係でベースがきゃすになった時も正直あんまり譲りたくなかったなって心の奥では思ってました そんなネリネノートがこうやってしっかり走りきれて嬉しいです
ざらべは、本当にメンバーに恵まれた2年半だったなと思うバンドで、最初はピンボーカルの4ピースから始まり、リードギターが入り、解散し、ボーカルがいなくなってしまった現体制で再結成して、とすごい波乱万丈だったバンドでした でも本当に活動してて楽しかったです
もちろん大会に出て悔しい思いをすることもあったし、嬉しい結果が出てみんなで喜んだ時とかもあって、本当に最高だったなって思います 特に8月末にこの4人でジョージロック決勝の舞台に立てたことが何より嬉しかったです
こうやって、みんなで1つの音楽を作って、同じステージで同じ空気を吸えて成長できたことは一生忘れないし、とても大切な経験です 本当にありがとう
そしてメンバーだけじゃなくて、この2年半一緒に頑張ってきた同期のみんなもとても思い入れがあります 共にライバルとして頑張ってきたむてきも途中不仲だったりした時期もあったけど、それもまぁいい思い出になったのかなって思います、
そして何よりホームも本当に思い入れ深くて、俺がまだホームに入ってる時に何にも言われないままリーダーにベース交代ねって言われた時はびっくりしたけど、りんがステージに立ってる姿が見れなくなるくらいなら変わりたいって思ってたので、結果的に良かったです
そして、後輩に伝えたい大切な2つのことがあります
それは、「共に頑張る仲間を大切に」「他校とかの友達との繋がりを大切に」の2つです。
1つ目の「共に頑張る仲間を大切に」は、俺が高一の頃にできなかったことで、それでざらべでもずっと喧嘩ばっかりで解散もしちゃったりして、もう本当に色々と大変でした
でも、高二の夏頃にざらべが再結成するってなって、お互いにリスペクトが足りてなかったねって自覚してからは本当に上手く行きました
こいつのセンスを信じようとか、こいつの言ってることも正しいなって、ただ自分の思う正しいを押し付けてるだけじゃなんも生まれないことが1年半ほどやって気づきました
今1年生色々と大変で、揉めることもあるだろうし、悩むこともあるだろうけど、俺が組んできたメンバーに恵まれたと思えれるようなバンドメンバーを見つけて、さらにそのバンドメンバーをとにかく大切にしてください!
そして2つ目の「他校とかの友達を大切に」は、僕が軽音楽部を通して学べた大切なことです
例えば、公募とかできてくれたグズマニアックだったり、空論戦争、そして合同ライブで度々マッチしてきた高校の仲いい人、そんな人達と会うと、軽音人生が何倍も楽しくなるんですよ
お互いにジョージロックだったりを応援しに行ったり、合同ライブで話し合ったり、だいぶ先になっちゃうけど、卒業ライブの話し合いとかするとすげぇ楽しいんですよ!
ライブの後とか打ち上げに行っちゃったりして、お互い差し入れを準備して渡しあったり、お互いの引退ライブを見て感動し合ったり、
本当に仲間って大切なんですよ!1年生のみんなはあんまり交流会とかで友達とか作ってないように見えるけど、最高な仲間ができます なので皆さん積極的に他校と仲良くなって、色んな話ができるようになってください
(話の順序がおかしいです、!ごめんなさい、!)
最後に、自分の成長のために色々と尽くしてくれたコーチと、室井先生に言葉を残します
國井コーチは今日いないけれど、本当に色んな相談を乗っていただきました
他の人には言えないし、他校の友達に言うのもなんか違うような相談を沢山乗っていただきました
あんまり色々と上手くいかない時とかに、真剣に相談乗ってくれたことが、今でも思い出すほど感謝してます!僕はまだまだ音楽を続けていくので、またどこかで会いましょう!
巌コーチは、本当に僕のベースを見てくださってるなって思います 昔からエフェクターの使い方を教えてくださったり、音作りのアドバイスだったり、色んなことを教えて頂きました!
巌さんの評価で良くなかったって言われるのが悔しくて、3年生になってからはずっと自分好みの音で戦ってやる、!って思ってやってました、笑
最後に、室井先生
本当に2年半お世話になりました、どうすればいいのか分からなくてさまよってた時も、何もかも上手くいかなくて泣いてた時も今思い返せばずっと室井先生と環境分析室で相談してた記憶ばっかり蘇ってきます
今のざらべが存在してるのも、僕がここまで音楽に本気になれたのも、自分の心のあり所を作ってくれたのは室井先生でした
当たり前のように毎日部活で会って、当たり前のように毎日話して、当たり前のように別れてますが、もう引退して室井先生との関わりが少なくなるって考えると、すごく悲しくて、すごく寂しいです
それほど室井先生には良くさせて頂きました、感謝しきれないですし、これから僕が頑張っていけるのも、室井先生のおかげです、本当に2年半ありがとうございました
本当に色んなことがあって、濃かった毎日でした みんなには感謝し切れません 僕が引退してもみんなはみんならしく自分たちの道を歩んでください!本当にお世話になりました
ベース・ローディー班・外交係長
一年生の頃は音楽の知識なんて全くなかったし、むしろ音楽を知るために軽音に入ったのにライブ運営するなんて夢にも思わなかった
ルサンチマンを初めて見た時正直うますぎてなにをしているのか当時は理解できなかったけど今ではいろんな面で憧れていて勇気をもらっています。中学の部活とでやれることの自由度が全然違くて遅刻しても試合に出れていた中学とはレベルの差を実感しました。そんな中ザラべでは初ライブのはずの二子玉衝動で遅刻した人がいて出れませんでした。その日自分の誕生日だったこともありよく覚えてます。当時は遅刻する人が多すぎて今ではほとんど部活を辞めてしまいました。普段の部活から遅刻している人ほど部活についていけなくなって辞めてる気がします。音楽に熱い人たちがそんな理由で辞めちゃうのはとても悲しいから遅刻はやめてほしい。
今までたくさん部員が辞めちゃっているのを見てきたけど同じメンバーである親泊まりくんが部活に来なくなって悲しかったし最後まで同じメンバーでできなかったりして悔しかった。そう言ったことも含めて二年生では悲しかったこととか大変だったことがたくさんあったけどいろんなことがあったからこそ人として大きく成長した気がするし、たくさん出会いがあったいい年でした。今までいろんなバンドに入ったり解散したりをしてきたけど、いろんな経験ができたし、いろんな音楽を知ることができるからすごく楽しかった。だけどそれと同時に生半可な気持ちではできないと思った。誘われたからとりあえず入ったとかだと意外と価値観があわなっかったりするし、自分のためにならない。よっぽどの目的があって、自分のやりたいことに繋るならすごく良いものだけどそうじゃないならあまりおすすめはしない(これは無視しても良い
三年生は自分の技術(ドラム)が一番上達した年でした。まだまだミスすることもあるし、ライブのパフォーマンスとかは上手くできてないかもしれないけど昔と比べてやりたいこともたくさんできるようになり、ドラムの聴こえ方や聴き方も変わった気がします。合宿で無限に練習していたっていうこともあるけど、三年間諦めずに部活を続けてきた成果が現れてくれた気がして嬉しかったです。ただ、ただ続けていれば勝手に上手くなるわけでは当然なく、どうゆうものに憧れてどんなふうになりたいのかをしっかり言語化して目的がないと、中途半端な結果になってしまうと思いました。僕は少しそこが足りなかったかもなと思ってます。
三年間で特に印象に残っていることあって、
いろんなライブにたくさん出てきたけど一番嬉しいのは何より褒めらることでそれがあるからモチベーションにも繋がるし、そのためにまた上手くなろうと思える。最近三郷の人がうまかったって言ってくれたことがあって、誰かの印象に少しでも残すことができてよかった。軽音部に限らず音楽は人の心にどれくらい刺さるかどうかの勝負だと思うから、そういう意味でも三年間のバンド活動はとても楽しかったしずっと続けできてよかったです。また、レコーディングをして曲として形に残すことができてよかったし、いつか誰かかが自分たちの曲聴いた時に曲の良さを理解してくれたら嬉しいです。
ホームビートのレコーディングができていないのが心残りですが。
ライブ中いろんな人見られるのはまだ怖さもあるけど、今年の文化祭のライブは一瞬一瞬忘らない青春を作れたと思います。
ドラム・PA班
3年間色々あったけど、楽しかったことも大変だったことも含めて、同期のメンバーがこのメンバーで本当によかったと思います。
1年生の最初の頃は、体調を崩して少し休んでいたこともあって、なかなか馴染めなかったけど、みんなが仲良くしてくれて実はすごく嬉しかったです。そこから一緒に活動していく中で、練習したり、ライブをしたり、くだらないことで笑ったり、色々な思い出ができました。
もちろん3年間ずっと楽しかったわけではなくて、うまくいかなかったことや、大変だったこともあったと思います。でも、そういうことも含めて一緒に乗り越えてきたからこそ、最後にこのメンバーでよかったと思えたんだと思います。自分一人だったら途中で折れていたこともあったと思うし、みんなと一緒だったからここまで続けてこられました。
特に文化祭ライブでは、1・2年生があんなに泣いてくれているのを見て、3年間やってきて本当によかったなと思いました。自分たちが楽しんで演奏していたことが、後輩たちに何か残せたのかなと思うと嬉しかったです。あの文化祭ライブを観て、1・2年生にも最後まで頑張った先にあるあの景色を見てほしいと思いました。
1年生は今いろいろ大変そうだけど、部活を続けていく中でしんどいこともあると思います。それでも最後まで走り切れたら、絶対にあの景色が見られると思うので、折れずに頑張ってほしいです。無理しすぎず、みんなで支え合いながら、自分たちらしく活動していってください。
2年生はこれから中心になって、この部活を引っ張っていく立場になると思います。大変なこともあると思うけど、今の勢いを落とさず、そのまま頑張っていってください。自分たちの代とはまた違った、2年生らしい部活を作っていってほしいです。最後には「このメンバーでよかった」と思えるように、残りの活動を思いっきり楽しんでください。
室井先生、3年間お世話になりました。
感謝してもしきれないし、謝罪してもしきれないくらい迷惑をかけて、失望させてしまったことも何度もあったと思います。それでも最後まで面倒を見てくれて、本当にありがとうございました。
今振り返ってみると、自分がたまたま世田総に来て、たまたま室井先生がいて、たまたまこの同期のメンバーと出会えて、本当に色々な「たまたま」が重なって今の自分があるんだなと思います。
そう考えると、3年間ここで活動できたことはすごく幸運だったと思います。先生には迷惑をかけることも多かったけど、それでも最後まで見守ってもらえてよかったです。
たまたま世田総に来て、たまたま室井先生に出会って、たまたまこの同期と巡り会えた。
こうやって考えると、人生って何がきっかけになるか分からないなと思います。あの時世田総に来ていなかったら、室井先生に出会っていなかったら、このメンバーと一緒に3年間過ごすこともなかったと思います。
そう考えると、自分にとってこの3年間は本当に大きな3年間だったと思います。
色々迷惑をかけたけど、最後まで付き合ってくれてありがとうございました。3年間室井先生のもとで活動できて、本当によかったです。
ギター・PA班長
軽音は私にとっての青春そのものでした。
私にとって部活が終わるということは、高校3年間が終わることに等しいくらい軽音に溺れた日々を送っていました。文化祭で終わりだと分かっていたけれど、やっぱり心は追いつかなくて、ほんとにこれで終わりなのか、こんなに楽しいのに本当に終わってしまうのか、まだ続けていたい。という思いが増していきました。そしてこの軽音尽くしの日々がどれだけ大きく大切なものだったか。最後が近づくにつれ気づいていき、ラストライブが終わった後に涙が流れました。大切なものはいつになっても無くなってから気づくものなので、今を大切に過ごして欲しいです。
私はずっと歌うことが好きで、高校に入るまではずっとオペラをしていました。高校ではバンドをやってみたくて、軽音部のある学校を探して、せたそうを見つけました。中学まで一人で音楽をして、一人で舞台にたってきたのもあって、一緒に音楽をする仲間がいるということがとても嬉しかったです。軽音に入ってからは毎日が新しい経験で、とても刺激的な日々でした。私が3年間軽音を続けてきた経験から1、2年生に伝えたいことを3つお話します。
まず1つ目はバンドメンバー、部活の仲間、友達を大切にして欲しいということです。
バンドメンバーは部活の中でも一番の味方であると思っています。そして部活の仲間も同じ音楽をしている大切な仲間です。バンドを続けて行く中で、1年の頃も2年の頃もその時々で色々な悩みとか問題が出てくると思います。そういう部活内での悩みは、もちろん自分の親にも相談できるけど、やっぱり一番の理解者であるのは同じ境遇にいる仲間とか、先輩方とか先生方だと思います。同じ経験をしたことがある人は先輩の中にも他バンドの中にも沢山いると思うし、室井先生も色んな人たちを見てきた方なので、だからこそできるアドバイスも沢山あると思うし、沢山話してください。相談できる人がいるだけでとても救われるし、それだけで強くなれます。私は1年の後半にメンタル面が崩れてしまい、仲間に相談に乗ってもらって、その時にずっと話を聞いてくれて、励ましの言葉をかけてくれて、今でもその言葉を覚えてます。周りにバカにされたり、貶された時にバンド仲間より信頼できる人はいないので、本当に大切にして欲しいです。そして、メンバーを否定するようなことは絶対にして欲しくないです。意見がぶつかったり、表現したいことが違うことも沢山あると思います。ですが、それがあってこその軽音なので。そういう時は、とにかく話し合うことを大切にしてどんどん乗り越えていって欲しいです。ちゃんと意思疎通をすること。自分が何を思っているのかを言ってください。言葉にして伝えることはとても大切なことなので。言わないで溜め込むほど良くないことはないです。
2つ目は、
軽音を3年間続けるなら、本気でやって見て欲しいということです。3年間続けるということは簡単なことではないと思います。今の3年はみんな一人一人色んな思いでここまで続けてきたと思うし、色んなことを乗り越えて最後まで残った人達です。なんとなく続けてたり、何も考えずに気づいたら3年になっているような人は多分どんどんやめたほうが高校生活3年しかないので自分のためだし、バンドメンバーのためでもあると思います。まずは、自分の中でこうなりたいんだという目標を決めてみてほしです。なりたい欲とかやりたい気持ちとかが大きければ大きいほど、行動に移すことができるし、それだけ本気でどこまでも上がって行けると思っています。
3つ目は、体調やメンタルが不調な時はしっかり休んで欲しいということです。ライブとかが重なると、曲作りでスタジオ連続で入ったりとかよくあったんですけど、私はそれで結構体がおかしくなったりしたので、ちゃんと休むことも大切にしてく欲しいです。他にも、病んでしまった時とかもあって、本当に辞めるつもりで先生に相談しに行った結果、休部という形で1年の11月から休部して、今の2年が入ってくると同時に戻って来るということもありました。自分でもどうしたらいいのか分からなくて、もう戻らないかなって思ってたんですけど、メンタルがだんだん回復してくるとやっぱりここに戻りたいって思えました。休部してたからこそ軽音の大切さも大変さも辛さもわかりました。辛い時にずっと続けると見えるものも見えないので、辛い時は無理せずに1度離れて見るのも良いのではないかと思います。
他にも伝えたいことはあるんですけど、軽音を続ける中で伝えたいことは主にこの3つです。そして、夢的少年のことを話すと、まず2人とは育成の時から一緒で、選抜で私がピンボーカルあいりがギターキャスがベースもう一人の女の子がドラムで選ばれました。結局1年の終わり頃ににドラムの子が学校を辞めてしまって3人になりました。最初の方は、ギターとベースと歌で弾き語り体制でやってみたりしました。色々考えた結果、私がキーボードボーカルになって、あいりがドラムになってという形で始動して。そうしてピンチを乗り越えて続けてきたからこそ仲間の存在が大きくなっていったし、自分と向き合うこともできました。3人になってからは中々上手くいかないことが多く、いちばん辛かった時期でもありました。INDANCEで初めて私が歌詞を書いてから、歌詞を書くのが楽しいことに気づいて、そこからは私が歌詞を書くようになって、バンド活動も楽しくなっていきました。
話が変わるんですけど、小学生の時に習ってたオペラの先生が言っていた15歳から18歳の間にどう生きたかが人生の分岐点になるほど大事だよっという言葉がすごく記憶に残っていて、最近18歳になって思い出しました。
私は15歳から18歳の間に軽音部に入って色んな経験をして沢山学ぶことがで来たなと思います。とても充実した3年間を送れてよかったし、人生の分岐点の3年間の時期に軽音がんばれて本当に良かったなって思いました。軽音をここまで続けて、自分はすごく変わったし、さまざまな経験をして、自分の中で確かに成長したことがすごく実感できました。軽音を続けて経験したこと全てが自分の自信になりました。3年間本当にありがとうございました。
キーボードボーカル・照明班
この3年間長いようで短いようで、本当に色んなことを経験した高校生活でした。
私は1年生の時に新歓ライブで見た非国民△やアイサインの楽しそうなステージを見て凄くかっこいいと思い、自分もこんなふうにライブをやりたいと強く感じたのが入部をしたきっかけでした。ギターもやった事ないし歌もカラオケで歌うのが好きなくらいで軽音のことを全く知らなかった私は美術部と迷っていたけれど、せっかくなら新しい挑戦をしようと思い、軽音部に入部しギターボーカルを選びました。1年生では女の子2人と3ピースバンドを組んで始めました。この頃は曲を作ることにすごく躓いたし曲も少なくてライブにも3回程しか出なかったです。夏に1曲作り終えてこれから頑張ろうと思った時にメンバーが中々学校に来れず、1年間3人揃ってバンド活動することがあまり出来なかった記憶があります。二人で活動をした後も2月頃に1人追加でメンバーを入れたけど、1人辞めてしまってまた活動を止めてしまって、1年間もっとバンドをしたり曲作ったりやれる事が沢山あったなという後悔があります。
1年生は今大変であり大切な時だと思うけれど話し合える相手がしっかりいる。私はメンバーと中々会えなかったし、話し合いもできなかったけど、皆はメンバーが居るし、その居ることを当たり前だと思わないで欲しいです。私は辞めたメンバーとやりたかったと思う事もあるけど、時間は戻らないしすぐに過ぎてしまうからその人と出来ることをすぐにでもやって欲しいと思います。
2年生になって自分のバンドの活動を1度止めようという話になって、新しいバンドを組ませてくれたのに解散してしまって、夏にもう一度バンドを組みました。それが今のHomeBeetです。その時はこの人とやりたいからとかでは無く誰でもいいから組むしかないという状況でした。もうこれ以上バンドを無くす訳にはいかないという覚悟でとにかく曲を作ってライブに出ました。私は曲を作るのが楽しくてバンドができるのがすごく嬉しかったです。でも、曲として、ライブとして躓くところはあって、1年生の頃からしっかりやっていたらもっと悩まずに楽しめてたと思うことがありました。
文化祭のライブで3年生の曲を聞いて涙する人が沢山いたけれど、私達の軽音楽部のオリジナル曲を制作することの意味がそこに詰まっていると思いました。自分の想いを歌にして伝えることやその人だけの曲というのは本当に価値のあることで、今しか出来ない宝物になっていくんだなと思います。
私は初めて歌を作った時、自分の歌を披露した時に「すごくいい曲だね!」と褒められるのが嬉しかったし曲を作るのは楽しいです。自分の曲があることは周りからしたら凄いし、誇りに思えるから皆には1人1曲でもいいから作って欲しいと思います。
正直1年や2年の時は自信を無くしてライブに出るのが怖いと感じたこともあったし、ライブを楽しむということがあまりできなかったです。でも3年生の最後の最後でステージを駆け回って本当に楽しいライブができて今までここにいた意味を教えてくれました。もちろん一人ではできなくて一緒にいてくれたメンバーや聞いてくれる部員やお客さんに感謝しかないです。本当にありがとう。みんながいたから楽しむことができました。
私は2年生が1番大きく変わった時で、沢山失敗をしてしまって、その度に怒られてきました。幹部やバンドも運営も辛いことがあった時に本当に逃げたいと思ったりお腹が空かな過ぎて何も食べれない時もありました。でも不思議と部活を辞めるという選択肢は無くて、それは今の仲間たちと最後までやりきりたいという気持ちが大きかったからだと思います。1人じゃ何も出来なかったし頼ってしまうこともあったけれど、そんな辛い中でも楽しく笑い会えたのは仲間がいたからです。
私はいつも音楽を聞いて落ち込んだ時や、悲しい時は元気をもらっています。どんな時でも元気づけてくれています。いつだって音楽は私達を裏切らない、だから私達も音楽を裏切らない。この言葉を心にここにいてもいなくても音楽を続けて言って欲しいと思います。
今悩んでることや辛いことがあると思うけれど、それでもやり続けてみて欲しいと思います。その分色んな景色が見れるし、変わることもあるし、何より最後には喜びながらやっててよかったと思えるからそれまで頑張ってみて欲しいと思います。
最後に、私は何かを最後までやり続けるということが無くて、小学生の時からなんとなく生きていました。だけど、この部活に入って1度でいいから最後までやり続けて頑張ったと言い切りたかったです。実は本当に部活を辞めようか迷ったことがあっけれど、今まで残り続けたのはきっと最後までやりたかったからです。私は昔から人に自分の気持ちを言うのが苦手で自信がなくて周りばっかりを気にするような人間で、自分のことが好きじゃなかったです。でもこの部活に入って人とぶつかり合うことや何かを作り上げることや、周りと比較をしないで自分らしく生きること、全部が初めての事を学んで3年間で大きく変わりました。私はこの部活に居るべきじゃないんじゃないか、辞めた方がいいんじゃないか、入らなければよかったと後悔することが正直ありました。だけど昔と全く違う自分に会えて、私は今なら自信を持って自分のことが好きだと言えます。
そして本当にこの軽音楽部に入って、皆に会えて良かったと思っています。
ギターボーカル・会計・司会班長
僕はこの話をするにあたって、僕や僕が組んだバンドが今まで何をしてきたかを軽く話しておきます。
元々軽音部に入りたかったのは、ギターが弾けたからっていう理由だけでした。中学の時はテニス部で、その時の僕の中では結構な熱量でやってました。
でも、ある日お父さんの寝室に行ったら、お父さんが使ってたギターがふと目に入って、小学校の時も触ったことあるけど、この楽器ってちゃんと弾こうとしたらどんな音が鳴るのかなと気になって、いちばん簡単そうなAsus2から初めて弾いて、生音で音を鳴らした時に、これ石川くんには何回もふざけて言ってるんですけど、あぁ、これだって感じちゃって。
続けてEも弾いたら、そのふたつのコードを繰り返すだけで楽しくなっちゃって、思えば一日目にしてはめっちゃ弾けてたなって思いますね。
その数日後にYAMAHAのめっちゃ古いアンプが転がってるのを見つけて、これもしかしてギターの音出るのかなって思って、お父さんに許可とかも取らずに、どのツマミを回せばどうなるとかも考えずに爆音が鳴って、もう大興奮でした。
ギターってもっとアナログな楽器だと思ってたから、まさかこんな機械を動かして爆音を出すなんて考えてもなかったです。
今思えば、僕が機材好きだったり、知りたいと思える原動力は確実にそこから来てますね。
中学校では友達はいたとはいえ、楽器を弾ける人なんて周りにお父さんくらいしかいなかったので、ずっとひとりで弾いて、1回だけお父さんとセッションして、テニスと頑張って死ぬ気で両立させてました。
中三になって、卒業式の後に開かれたお別れ会みたいなので、みんなの前でちょっとしたライブみたいなのをしました。
本当に、なぜライブしようと思ったのかはわからないんですけど、でも終わったあとに感じたのは、自分の楽器で1人でもこうやって人の心を掴むっていうのはめっちゃいいことだなって思って、よし、軽音に入ろうってなりました。
世田谷総合に決めたきっかけは、お兄ちゃんとお姉ちゃんが行ってたからっていうので、この学校のことをわりと知ってたから、授業を選べるのいいなって思ってここにしました。
世田谷総合に入ってからは、まず国際交流室っていう南館の1階のみんながギター弾いてる隣の部屋で新歓ライブをやってて、それを見て、まずライブがすごいとか以前に、「これは何が起こっているの?」っていう疑問が絶えませんでしたね。
機材から音が鳴っててすげぇって思って、バンドって複数人でやるから、ひとりで弾いてきた自分の中ですげぇって思って、自分たちで曲作ってるって言っててすげぇってなって、もう何もかもが僕の中の常識を覆していくから、本当にこの先生と、この集団について行きたいなって思いました。
育成バンドを組んで感じたのは、俺って結構楽器弾けるんだなってことでしたね。まぁ、その後すぐに石川くんが入ってきて叩きのめされます。
選抜メンバーが決まって、その時石川にも負けてたから本当に悔しくて、勝てるバンドを組もうって思いました。
ザ ラベンダーズを組んだのは、演奏技術でしか見てなくて、ゆきひろは上手かったんで、育成の時から組もうぜっていう話はしてました。
親泊はカラオケ出身の人ではあったんですけど、基礎的な歌唱能力は高かったし、コードも弾けたから選びました。
ドラマー誰にしようかなってことで結構話し合ったんですけど、ボーイズにしたいし、育成の繋がりでそうくんにしました。
この時、石川くんもめっちゃ誘いたかったんですけど、違うバンドを組んでました。
あと俺がリードで親泊がバッキングだったので、誘える状況じゃなかったですね。その時はそう思ってました。
石川くんのバンドが解散して、奏くんはうちと兼バンしてたから大丈夫だったんですけど、石川くんは1人になってしまって、そのタイミングで声をかけました。
親泊くんはピンボーカルになりました。
そこからは勢いが凄かったです。
何もセンスも作曲の知識もない僕たちが、急に石川くんというセンスの塊を手に入れたことで動き出しました。
その後もペースは遅いんですけど、順調に曲ができていきました。ジョージロックU-16でも最優秀賞を取って浮かれてました。
ですが、ここでゆきひろとすれ違いが増えていって、5月のホールライブを最後に解散します。
その後は3年全員みんなでバンドを組み直したりして、新しいバンドを組みました。今では本当に時間を無駄にしたと思います。
8月に再結成して、そこからもラウドロックを作る期間が3ヶ月くらいは続いたんですけど、ルサンチマンがやっぱりみんな好きだから、オルタナティブロックやりたいなと思って、それに加えて作曲ペースもここで勢いつけてこうってことで生まれたのが「助走」って曲です。
それで今に至ります。
僕がみんなに大切にして欲しいのは、出会いと時間と素直な気持ちです。
軽音で勝ち負けの世界で、出会いとか自分たち以外の仲間とか、そんなのめっちゃどうでもいいなって1年前までは思ってました。
でも、話すバンドが増えていって、なんでそんなに軽音での人間関係が大切なのかがわかりました。
音楽仲間って本当に大事です。
同じ趣味で、同じ道を歩んで、同じ想いがあって、でも違った視点で、違った音楽を一緒に奏でられる仲間が大切か、今はわからなくてもいいけど、いつかはみんなわかって欲しいと思います。
2つ目は時間です。
これは想像の100倍は体感短いです。
一日一日を無駄にしないのは当たり前だけど、どのくらい本気を絶やさずに続けられるかだから、もし本当に勝ちたいとか、そういう目標があるなら、辛くても頑張り続けて欲しいなって思います。
最後は素直な気持ちです。
これ、かいりくんに僕が言われたんですけど、負けたら悔しいし、勝ったら嬉しい。そういう気持ちを大切にして欲しいです。
感謝の気持ちも、ちゃんと言える人になって欲しいです。
僕もずっと言えなかったけど、僕はこの同期に出会えて、後輩にも恵まれて、コーチにも沢山教えてもらえて、石川、そう、ゆきひろとバンドを組めて、幸せでした。
何よりも室井先生が大好きです。いつまでも見守ってくれて、育ててくれて、本当にありがとうございます。
僕は先生のことを一生忘れません。ここで作った思い出は、ずっと僕の宝物です。
本当にありがとうございました。
ギターボーカル・副部長・PA班
1年生の頃に立てた目標は、部活を1回も休まず、3年間全力で走りきることでした。
それを実現させるために、1日1日を大切にして、毎日全力で頑張って、ここまで着実に進んできました。
それが3年間積み重なって、今までずっと想い描いていた、自分と夢的少年の理想の姿で文化祭のライブをやり切ることができました。そして今日、やっと引退できることを本当に嬉しく思っています。
目標は、しっかり叶いました。
私の原点は、自分のバンドでいつも楽しそうにライブをして、最後には泣きながら引退していった先輩への憧れでした。
その姿に憧れて、自分の信念を抱えながら、最後の文化祭と引退式を目指して3年間進んできました。
最後の文化祭はどんな姿でいたいか。後輩にどう思われたいか。どんな人たちに囲まれていたいか。ライブが終わった後、どんな気持ちでいたいか。
私はずっと、そんなことを想像していました。
この日までの道のりは、本当にたくさん泣いたし、辛くて仕方がない日もたくさんありました。
でも、どんな時でも夢的少年の最後の姿と、自分のなりたい理想像を思い浮かべて、「絶対走り切ってやる」と思うことで、何回も自分を取り戻して、立ち直ってきました。
だから、これから軽音楽部を3年間続けるみんなには、自分の目標と信念を持って、それが叶うまで進み続けてほしいです。
誰に何を言われても、本当に関係ないんです。
「部活、ちょっと辞めたいな」と思ったり、「向いてない」と言われたり、「辞めなよ」と言われて、「そう言われたなら辞めた方がいいのかな……」って自信をなくしたりすることもあると思います。
でも、そんな時は、自分が貫きたいと決めた、自分との約束を思い出してください。
憧れの人や憧れのバンドがいるなら、「自分もなれる」って信じて、辛い時期があっても、一旦続けてみてほしいです。
なるって決めたなら、絶対なれるんです。
私はそう信じて、3年間軽音楽部を走ってきました。
もちろん、人によっては別に部活を辞めてもいいと思います。
辞めていった人は、友達とたくさん遊んで、好きなことをして、楽しそうにしているし、「辞めて全然良かった」という人もいます。
だから、辞めること自体が悪いわけじゃないと思ってます。
でも、自分で決めた約束事があるなら、それを絶対に守りに行ってほしいです。
そして、まだ自分の憧れや目標が見つかっていない人は、自分の心を動かすほどの衝撃を与えてくれるバンドを、自分から行動して探してみてほしいです。
自分が出られない合同ライブでも、見学に行ってみてください。
二子魂衝動の対バン相手やゲストを見て、感じたことをノートに書き留めてみてください。
これは私の趣味でもありますが、いろいろなライブハウスに通って、いろんなバンドを見て、刺激を受けに行くのもいいと思います。
私自身、今夏ライブを見て、本当に衝撃を受けたバンドに出会いました。
なんでこんなに魅力的なんだろう、なんでこんなにカッコイイんだろうって、毎日毎日たくさん考えてノートに書いて、自分のバンドに取り入れたりしました。
同い年なのにこんないい音楽をしてるなんて悔しい!って思ったり、プロのバンドを見て圧倒されたり。そうやって心を動かされたら、次は自分たちに矢印を向けてみてください。
じゃあ、どうやったら自分たちはもっとカッコよくなれるんだろう。
そこから考えて、それをバンドメンバーに言ってみたり、部活の空き時間や休みの日を使って、たくさん会議をしてみてください。
そして、バンドとしての直近の目標を立てて、それを叶えるために、今からできることをやってほしいです。
私は、バンド活動とバンドメンバーに本当に恵まれていたなと思っています。
育成バンドの頃は、どの育成バンドよりも1番最初にライブに出ることができて、選抜バンドとしても同期より1番最初に二子魂衝動に出て、ほとんど全ての合同ライブに出ることができました。
かけ持ちしていたバンドも含めて、3年間で91回ライブをしました。
これは、自分1人では絶対にできなかったことです。
遅刻や欠席をせず、今日まで同じ目標を掲げて、毎日一緒に頑張ってくれた私のバンドメンバーに、本当に感謝しています。
そして、同期のみんなにもたくさんサポートに入ってもらって、夢的少年としていつもライブに出ることができました。
みんな本当にありがとう。
私はいつも、部活で一緒に過ごすみんなの言葉や行動や表現に心を動かされていて、それを原動力にして、自分の活動に落とし込んできました。
特にThe LovEndersは、私にとってすごくいいライバルでした。
いい曲を作るし、自分たちの「カッコイイ」を本気で追究している。
だから私たちも焦って、必死になってバンドをしていました。
3年間、張り合ってくれてありがとう。
The LovEndersがいなかったら、自分のバンドにしっかり向き合って、本気でやろうというスイッチが、二度と押されていなかったかもしれません。
そして、誰かに言われた嫌味や悪口さえも、自分を成長させる材料に使ってきました。バカにされていなかったら、「見返してやろう」と燃え上がって、本気でバンドをやっていなかったと思います。
それも含めて、3年間ずっと一緒に続けてくれた同期のみんな、支えてくれた先輩、厳しいことを指摘してくれたり、優しく励ましてくれたり、たくさん褒めてくれたりしたコーチ。いつもやる気を出させてくれたり、沢山相談に乗ってくださった室井先生
本当にありがとうございました。
3年間、地道に積み上げてきた努力は、これからの私の人生において、絶対的な自信になると思います。そして、みんなと過ごした思い出は、本当に本当に大切な宝物になります。
私はそれらを全部抱えて、これからは受験に向かって、自分のなりたい姿と目標に向かって頑張っていこうと思います。
軽音楽部に入って良かったです。
3年間、本当にありがとうございました。
ドラム・副部長・ライブ責任者
引退式
私はあまり物事をコツコツ続けられる人間ではありませんでした。だから高校では、何かを絶対3年間続けたいと思い、この部活に入りました。その時の目標は、とにかく3年間部活を続けることでした。
なんで軽音楽部なのか。理由は単純でした。入部する前から聴く側として音楽が好きだったし、新入生歓迎ライブで見た先輩の姿がかっこよかったからです。だから最初は、あまり音楽というものに執着せず、何かを続けて成し遂げたいという思いが一番大きかったです。
1年生の時に選抜のバンドに選ばれて、そこで本気でこの部活をやりきろうという決心がつきました。作曲も、ライブをするということも初めてのことばかりで、毎日がものすごく楽しかったです。1年生はとにかく新しいことを学んで、がむしゃらに走った記憶しかないです。
2年生は立場が大きく変わり、部長を務めさせていただきました。幹部としての仕事や責任など、とにかく学ぶことが多かった年でした。また、バンド曲がなかなか上手くいかなかった上、大会でも色んな人に迷惑をかけて、何も成し遂げられていない自分が嫌いになりました。でも、部活をやめるつもりは全くありませんでした。一度やると決めたことを途中でやめることが、一番自分を嫌いになることだと分かっていたからです。
3年生はようやく、自分に自信が持てるようになりました。ライブを見てくれた人から、夢的の音楽が好きだということを伝えられることが多くなって、バンドのライブも楽しくて楽しくて仕方がなかったです。ずっとバンドメンバーと曲を作っていたかったし、ライブをしていたかった。だから、まだ時間のある後輩のみんなが羨ましいです。
私は最初、人付き合いが得意な方ではなかったので、自分とあまり合わないと感じる人や、先輩などに話しかけるのが、すごくハードルの高いことに思えました。
でも、関わっていくうちに、人と話して何かを作る、何かをするということが、思ったよりも気楽で、楽しいことだと気づけました。話して、関わって、一緒に行動して、その人の良さに気づくことができました。
合同ライブで学校の垣根を超えた仲間と出会い、今までの人生で会ったことのないタイプの人たちがたくさんいて、毎日刺激を受けて、どんどん価値観が広がりました。中学の私だったら絶対に会えていなかった人たちと出会い、音楽と関わることができました。3年生になってからひしひしと、お互いの表現するものを称え合って関わることが、こんなにも素晴らしいことなのかと、新しい出会いのたびに思わされていました。
続けるのは辛いこともたくさんありました。とにかく、がむしゃらに続けて、苦しくても前を向いて絶対に走りきってやる、と思って毎日部活に来ていました。その苦い思いも、今の私を形作る重要なパーツです。向き合って乗り越えられたことが、心の支えになっています。
そして、私はとにかく仲間に恵まれました。家族以上に関わってきたバンドメンバーはもちろん、助けてくれたり刺激をくれていたりした同期、道を印してくれた憧れの先輩や、下からどんどん追い上げてくるかっこいい後輩、そしていつも支えてくださっていた先生やコーチ。全員が私にとってかけがえのない存在で、この人たちがいなければ、こんなに良い3年間にはなりませんでした。みんなに出会えたことが一生の誇りです。本当にありがとう。
そして、二子魂衝動外伝で、最高の3年間の結末を迎えることができました。ちゃんとやりきることができました。たくさんの人に3年間の努力と成果を見てもらって、たくさんの人に感謝を伝えることができました。この思い出は、私の人生を支えてくれる大切なお守りです。
だから、私は確信を持って言えます。続けること。とにかくがむしゃらに走って続ければ、最高の景色が見られます。最高の仲間に出会えます。それはもちろん、自分だけのおかげではなくて、周りの人たちの支えがあってこそです。だから、また二子魂衝動で会いましょう。みんなが続けた音楽を、ライブを楽しみに待ってます。
ベース・部長・ローディー班長
以上、世田谷総合高校軽音部17期10名





